有明海ってどんな海?
有明海って?
有明海は、佐賀県・福岡県・長崎県・熊本県の4県で囲まれた面積約1,700km²、平均水深20mの九州最大の海です。
日本の海の中でも干満の大きさ・流入河川の多さ・塩分濃度の変化・濁った海域・日本最大の干潟・独自の生物相などを特徴としています。
有明海のプロフィール
水域面積 | 1700㎢ |
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容体積 | 34㎞³ |
干潟面積 | 188㎢ |
流域面積 | 8420㎢ |
平均水深 | 20m |
有明海の特徴
大きな干満差
有明海は満潮と干潮の潮位の差、干満差が日本一の海です。図は、各地の干満の差を示した図です。この図の右の軸は、大潮時の干満差の平均(大潮差)を紫衣しています。有明海の入り口にある口之津の干満差が大きい上に、有明海湾奥部六角川の河口付近の住之江では口之津の1.7倍に増えて日本一の干満差になっています。
図の左の軸は、最大干満差という、大潮時の最大の干満差を示しています。住之江ではこれまでに6.8mの干満差を示したことがあります。2階建ての建物ならすっぽりと覆ってしまうほどの高さです。
干満差を利用した潮干狩り
有明海では日本一の干満の差を利用した潮干狩りができます。水深が深くて船が動けるうちに目的地に着き、1時間ほど潮待ちをして、潮干狩りを楽しみます。貝掘りもとても楽しいですが、潮待ちをしているゆったりとした時間は、有明海ならではの楽しみです。干潟に潮が満ちてきたら船にあがってもう一度潮待ちをして港へ帰っていきます。
海の中の道
有明海の湾奥西岸部、太良町には潮が引いた時にトラックや乗用車が走る、立派な道が造られています。もっぱら漁業者の人たちの作業用道路で、一般の人たちは入ることはできませんが、潮が引いた時は海岸堤防から見ることができますので、訪ねてみてはいかがですか。
多くの流入河川
有明海には、九州最大の川である筑後川をはじめ、本明川、鹿島川、塩田川、六角川、嘉瀬川、矢部川、諏訪川、菊池川、白川、緑川など大小100を超える河川が流入しています。干潮時には全国の干潟の約4割(約188㎢)に及ぶ干潟が5〜7㎞沖まで広がります。流入河川の流域面積は合計で約8,000km²と、海域面積の5倍近くにも上ります。これらの河川によって湾内の塩分濃度が低下し、特に夏の湾奥部では海域の表層部に淡水域が形成されることもあります。干満が大きいので一日のうちでも塩分濃度が大きく変化する特徴があります。
感潮域の風景
有明海に面した川の河口部付近では干潮から満潮にかけて、潮水が下流から上流へ流れる光景を見ることができます。河川の河口域近くで潮水が上る区域を感潮域と呼び、淡水と海水が混じり合うこの水域の両岸にはヨシ原が広がり、淡水と海水の間を行き来して暮らす、エツ、アリアケヒメシラウオ、ヤマノカミなどの、有明海でしか見られない魚たちの重要な住みかになっています。
歴史
約200万年前
この頃、日本列島と大陸とは陸つづきであり、九州の西を当時の黄河が下り、琵琶湖と瀬戸内海とはひとつの内海で繋がって、九州の西部を流れていたと考えられています。有明海の生きものたちのムツゴロウやワラスボ、エツと同じような仲間の魚が、中国大陸や朝鮮半島に生息しているのは、はるか昔有明海と同じ黄河下流周辺部であったことを物語っています。
約2万年前
九州大学の下山正一先生によると、第四紀を通じて氷期の海面低下と間氷期の海面上昇が起こり、過去70万年間に7〜8万年の周期で、日本列島と大陸とは接続と分離が繰り返されてきたということです。海面の上昇と下降の変動幅は、100mに及ぶ規模だったそうです。
2千年前
縄文時代の後半から寒冷化が始まり、弥生時代にかけて有明海が陸地となっていきます。古事記伝説に「海幸彦と山幸彦」の話が出てくる「塩盈珠(しおみつたま)」と「塩乾珠(しおふるたま)」は、有明海の満潮と干潮の淡水の動きを、水田にうまく利用する技術をもたらしたことが神話となっています。
1870年
江戸時代には、藩内の産業の安定や増産に軍事技術が活かされました。成富兵庫(なりどみひょうご)が率いる技能集団は、ため池・井樋(いび)・堰(せき)・堤防などの利水や治水施設を整えました。また、地域の有力者によって新田開発や小刻みな干拓が繰り広げられていきました。